朝のコーヒーのようなこういうさりげない小さな喜びというのは、日々のサビに塗る油のような存在な気がする。
社会人になりたてくらいに、そういったことを調べてみると、
世の中には大きく分けて3種類の「幸せのカタチ」が存在らしい。
たとえばそれは、朝のコーヒーで感じる、セロトニンな幸せであり、
もうひとつは、なにかが欲しい!と感じたとき分泌される、ドーパミンな快楽の幸せであり、
そして最後は、人との触れ合いの中で感じる、オキシトシンなリラックスの幸せらしい。
これらは、日々の生活を滑らかにする油のような役割なのではないかと思う。
ただし、幸せのカタチは、一瞬の感情である気もする。
朝の淹れたてのコーヒーの香りは幸せだけれど、その日の夜まで続くものではないし、
ずっと人と触れ合っているわけにもいかない。
これらは、言ってしまえば生活を彩るものであるが、あくまで刹那的な点としての出来事だ。
そこで思うのが、点ではなく、長続きする線のように、
毎日を充足した感覚で過ごすことができる。
そんな欲張りに思えることができている人はいるのか?
絶対いるはずだ。
そんなことを社会人になったときくらいから考え続けていた。
あるとき妙にストンと納得できる瞬間が訪れた。
それは、会社員を辞めて独立した2年目が終わる春先のこと。
渋谷で仕事を終えて、青山通り沿いを表参道駅まで歩く途中、信号待ちをしているときだった。
その答えは「没頭すること」だった。
その日は、お客さんとのセールスアポイントが詰まっていた。
午前中から日が暮れた後まで仕事が入ってた。
それでも、振り返るとあっという間の一日で、肉体的には疲れていたが、妙に脳が覚醒していた。
そして、会社員のときは苦痛に感じていたセールスが楽しく思えてきた。
好きなのかもしれないとすら思いはじめ、
脳の感覚がクルッと180度、回転したかのような不思議な感じがあった。
帰り道の人たちが行き交う246沿いを、結局、表参道、外苑前、青山一丁目を越え、赤坂見附駅まで歩きながら
ひとり悟りのようなものを開き、自分の変化していく感覚に没頭していた。
そのときから3年以上が経った。今ならもっとたくさんわかることがある。
人生を長期間、線として充足させるために大事なことは
「没頭できるチカラ」である。
小学校低学年ぐらいまでは、すべての子どもが没頭のプロだ。
目の前の出来事すべてに興味と好奇心をもち、
一日は一瞬だが、一年は永遠に感じられる時間感覚で、
彼らの日々は間違いなく充足している。
日々が充足しているから、子どもは幸せなんだろう? とは考えない。
その概念がない。
大人になるにつれて、守らないとならないものと比例して概念が生まれる。
概念は知恵となるが、悩みにもなるっていく。
けれど、僕たち大人はひとりもひとりも漏れなく子どもだった。
全員が漏れなく没頭できるプロとして活躍していた。
だから、全ての大人が漏れなく日々を充足できる才能がある。
もし今は無い気がしても眠っている。
子どもは無意識だった。大人は意識的に知恵を活用できる。
だから正しく才能を呼び覚ませばいいのだけなのだ。
しかも、没頭できる才能を仕事にすることまでできる。
没頭して仕事ができたら、その人生はどうだろう?
そんな魔法のレシピがある。
もうインドまでいかなくてもよくなるかもしれない。
レオナルドのライフアップデートコンサルティングを受けてみませんか?
あなたの、
・好き(情熱)
・得意(才能)
・価値観(大事にしていること)
・稼ぐための方法(ビジネス化)
これら4つが重なった「生きがい」を一緒に見つけて、育て、磨いていき、
ライフスタイルをアップデートしていきましょう!