仕事観

「好きなことで、生きていく」から「好きなことを仕事にせよ」

土曜日に、新卒から4年間お世話になったビジネスバンクの卒業生の集まりに参加しました。

集まった半分以上の人がなにかしら自分で事業をしていて、今だから言える会社の当時の思い出や、いまやっている事業のプレゼンをしたりと、おもしろおかしく笑い合い、個性溢れるエキサイティングな会でした。

事業プレゼンの、好きなこと、興味のあること、欲望や、コンプレックスをそのまま社会への繋がりとして表現している “様” は
最初の印象は、斬新で、
すぐに、過激に映り、
だんだん、秀逸さに変わっていき、
最後には、その”様”がカッコいいとすら思う。

自分に正直に行動し、なにかを起こしている人・興している人は話はおもしろくて、もっと聞きたくなるし、知りたくなる。

だからこそ、そこから生まれる発想は、影響力もあると同時に、きっと同じくらいの悩みや課題も必ずついてまわっている。

ただ、それでもいいと思っていて、まずは自分の欲を満たさない限りは、本当の意味での貢献にはたどり着けない。

自分の気持ちに正直に行動している人の悩みは、きっと理想への最短距離と思います。

2014年、僕が社会人2年目の頃、
YouTuberによる「好きなことで、生きていく」といったプロモーション広告が渋谷駅を占拠したのを覚えている。

当時の僕には、インパクトがあり、そして他人事なキャッチコピーであった。

恐らく、それは、これまでの “働き方”の枠組みからの解放的なニュアンスな気がする。

成長資本主義の象徴でもある、「常に(社会のために)成長をしていかなければならない」という暗黙ですらない了解に疲れたから、もう周りや流れに合わせず、頑張りすぎなくて大丈夫だよ。新しい環境で好きなことを自由に、やりたいようにやってみたら? そんな背景。

さらに、ここ数年で、その様子もさらに変化していったと感じる。

「好きなことをやってみたら?」

から

「好きなことをしていかないと、満足できる人生は送れない」

そんな風潮を感じているのは、きっと僕だけではないはず。

会社は大企業
老後は年金生活
30歳までには結婚して
新婚旅行はハワイ

そんな誰かが決めた常識はとっくに終わっていて、
それらは彼らの主張であって、今を生きる僕らのそれであるべきではない。

これからきっと、あらゆる分野の人が「好きなことを仕事にせよ」という主張は増していく。

それは自由のような光がある一方、影もある。

「主体的に行動する人だけが豊かになれる」という残酷にも思える世界。

貧しさの象徴が、

お金がないこと → 受け身なこと にどんどんなっていく。

日本の教養が、これまでの暗記文化から、自分にとっての自由をいかにマネジメントするかになる。

自由とは他のものから拘束・支配されないで、自己自身の本性に従うこと。

「自らを由しとする」要は、「自分の選択を自ら正しいとすること」

アドラーにとっての “自由” とは、まさに「嫌われる勇気」

自由を謳歌すればするほど、それを応援してくれる人もいれば、よく思わない人もいるでしょう。

それは、きっとこれからの時代の宿命になっていく。

だからこそ、自由を謳歌し合える、応援し合えるコミュニティを、できればいくつか持つことはとても大事。

自由に生きて、少し疲弊して、会うとそれをおもしろおかしく笑い合って、真剣に話して、また進んでいく。

そんな会社に勤めれていたことが本当に嬉しくて、誇らしい。素晴らしいと会社だ。

あらためて、いろいろなことに感謝の気持ちになりました。

 

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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