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日常

私はまだ、音楽の神様に愛されているだろうか?

良いビジネス書は、”はじめに” がおもしろい。

良い小説は、”あとがき” がおもしろい。

どの本屋さんでも平積みになっている、直木賞と本屋大賞を受賞した小説

「蜜蜂と遠雷」

池袋SEIBU地下にある本屋にて。帯と裏表紙を見てから40秒くらい迷ったけれど、買うことにした。

迷った理由は、本の帯のキャッチコピーが壮大でとても重そうで、上下巻合わせて1000ページ以上あり、読むのにエネルギーが必要だろうなと思ったから。

内容は、国際ピアノコンクールに出場する4人の天才による、1次予選から4次の本選(決勝戦)において、

優勝者が決まるまでの葛藤を描いた物語。

そもそもの前提が、優劣をつける勝負ごとであるスポーツの世界では当たり前だが、

芸術、アートである音楽のピアノに競争(コンペティション)があることが残酷でありおもしろい。

サッカーは誰が見ても、ゴールネットを揺らせば1点が加算される。

1点でも多く点をとった方が勝ち。

それは、誰が見ても紛れもない “事実” となる。

対して、音楽や絵画などの芸術分野においては(スポーツでもフィギュアスケートや体操競技もそうだが)

審査員がいて、彼らの票の数で勝ち負けは決まる。

もちろん、審査員は、圧倒的にその分野に長けているからこそ、というのは承知の上であるが、そこには大なり小なり人間の “解釈” が混在する。

言い換えれば、事実での計測が不可能なことに、”解釈というものさし” で優劣をつける。

コンクールの予選では、結果発表後に、審査員がコンテンスタントの不満を吸収する目的である懇親会が行われるらしい。

また小説の中での、合格発表が行われる審査員に対しての出場者が思うワンシーン

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明石は、選ぶ立場にいる彼らを一瞬強く憎んだ。

いわば、自分の将来の生殺与奪権を握っている彼ら、

九十人のコンテスタントの一人一人の人生など

全く想像しないであろう彼らを。

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人は結局のところ、競争が好きだと思う。

もっと言うと、評価することが好きである。

そして、評価されることすら潜在的には望んでいる。

優劣が明確になることで人は安心をする。

目の前の相手に勝つことで、自分は優れていると証明ができる。

負けると悔しく、ときには無価値感に襲われることすらあるが、それはある意味では(言葉は悪いが)悲劇のヒロインになれる。悲劇度合いが強いほど、こだわっている証拠である。こだわれることが在るのは幸せなことだ。

同じように敗北した相手を見ると、人間は自分だけではないと共感し、安心する。

芸術の世界における、審査員の解釈で優劣が決まる、その葛藤。

あとがきは、担当の編集者が書いているのだが、著者が直木賞の発表前日に移動中のタクシーの中で、

「賞を取れるかな?」とナーバスになっているシーンが描かれていて笑ってしまった。

音楽という芸術を描いた、小説という芸術を、直木賞審査員の解釈で選ばれることに葛藤している著者。

この小説は、今から一ヶ月後の10月に映画がロードショーされる。

100%の解釈で、映画という芸術における審査員になったつもりで、鑑賞するのが今から楽しみである。

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