早朝8時過ぎに到着した会場は、雲海に浮かぶ天空の城のような霧が幻想的で何かが起こりそうな景色であった。
前半9ホールは散々な結果であった。お昼ご飯を食べ終え、小さな焦りと苛立ちを抱え、迎えた後半。
12番ホール。Par3。REGULAR 123yds。
旗がグリーン手前に位置している日であったため、ピッチングで打つか少し迷ったが、9番アイアンを手にとる。
黒くTOUR STAGEと綺麗に印字された白いボール。親父にもらった茶色のショートティーを刺して、その上に乗せる。
いや、添えるといった表現の方がしっくりくるかもしれない。
地面ギリギリまで刺したショートティーは、自分の存在をアピールすることなく鮮やかな緑の芝の上に、光り輝く白い主役を引き立てる。
練習のときはごちゃごちゃと意識していた頭の中を、本番は真っ白にして振り切って打ったボールは、青空のど真ん中をまっすぐに、綺麗な弧を描いて飛んでいった。
この瞬間が好きだ。
ジャストミートした瞬間の球を、クラブが弾いた心地の良い音と同時に、大自然の中を白い球が描く軌道を眺める。その数秒間は、たまらなく気持ちが良い。
うまく打てた自分に対する称賛と安堵。そして、青空を切る美しい軌道は青春のような虚しさと、どこに落ちるかわからない小さなドキドキが入り混じった、なんとも言えない感覚。
爽快なショットで、本当に美しい孤を描いて遠のいていった。
鮮やかなグリーンでワンバウンド跳ねるボール。
瞬間、ボールが消えた。
「え?」
ボールが消えたのだ。
綺麗さっぱりと。
グリーンを転がるはずのボールが突如その存在を失う、それは物理的にはありえない光景だった。
まるで、動画で編集をしたように、視界に映る世界から唯一ボールだけが消えた。
あまり目のよくない僕は、なにを思ったのかホールインワンをしたことよりも先に、それをしていない可能性に頭を巡らせた。
何が起きたのかわからなかった。
実はこのとき、オナー(最初に打つ人)だった僕は、一緒に回っていたメンバーが来る前に先に打ってしまったために、しっかりとした目撃者がいなかった。
だからなのか、入ったはずなのに確信がなかったため、誰にも言えないでいた。
グリーンに向かうカートで僕は、宝くじに当たるとこんな感じなのかもしれないな、なんて考えていた。
宝くじに当たる=現実的ではないことが起きたとしたら。
たぶん、当たったことはすぐには口外しない。それは秘密にするというよりは、万が一なにかの間違いであった場合、恥ずかしい思いをするから。
ただし、番号が間違っていないか30回は確認するであろう。そして実際に当たっていたとしたら、跳んで喜ぶ……というよりは、冷静に現実を直視しようとするが、焦りで頭が真っ白になってしまうのかな。
そんなことを考えていたら到着。
まずは、オーバーしていた。なんてことがないかを確かめるために、グリーンの奥に白い球がないことを確認。
この時点で確信に変わった。
あの10cmと少しの幅のカップの中に、TOUR STAGEと印字された白いボールが眠っている。
見てはいけないものを確認しないといけない、事件現場を確認しに行く新米警察官はこんな感覚だろうか。
近づくにつれて、心臓が口から出そうなくらい緊張した。
「うわっ!」
一瞬心臓が止まった。
覗き込んだカップの中に、それはあった。
しっかりとTOUR STAGEの印字がされている。
世界から消えたボールが、確かにそこには存在していた。
「おめでとうございますっ!!」
ふと、遠くから声が聞こえてきた。
気が動転していて、誰に向かって言われているのかわからなかった。
隣のホールでプレーしていた男性3人組が、たまたまその瞬間を見ていたらしく声をかけてくれてた。
気が動転している僕は、なにを思ったのか、
「これ、ボールが入ったのですか?」
なんてわけのわからないことを聞いていた。
相手の表情までは見えなかったが、きっと苦笑いをしていただろう。
野球部が廊下ですれ違った先輩に挨拶をするように「ありがとうございます」なんて帽子をとって深いお辞儀をしていた。
それからのことは、なんだかよくわからない感情で過ごした。
こんな奇跡的なことをどうやって喜ぶべきなのかがわからなくなった。
自分の感情のネジがひとつ外れていることを知ったような感じだ。
もし、ホールインワンを達成するために努力をしてきたのなら、あるいは純粋に喜べたのかもしれない。
しかし、まだゴルフを初めて間もない、大して上手でもない自分が、こんな出来事を味わっていいのだろうか? という、自分の自分に対するセルフイメージが追いついてくれないのだ。
なにかこの世の常識の根底を覆すような重大な秘密を知ってしまったかのように、この文章を書いている今もそれほど実感は無い、ただ紛れもない事実が心に焼き付いている。
しかし、そんなことを思いながら、僕はそれでいいと思っている。
奇跡とは得てしてそんなものなのかもしれない。
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