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アップデート

レオナルドについて

この記事は約9000字です。

こんにちは!

レオブロ運営者、レオナルドです。

僕の生い立ち、人柄について、ただひたすらに語っているだけの記事です。

 

19891230日に東京で生まれる

東京(深川)育ちの、江戸っ子です。

といっても、江戸っ子がなにかはあまりよくわかっていません。

設計事務所を経営する父と、建設設計会社で働く母と、両親共働きの中流階級の家庭に生まれ、

小学校のときに地元にできたイトーヨーカドーと、実家に代々飼われているネコ(現在3代目)と共に育ちました。また、4歳下の弟がいます。

母親が産休・育休をとらず忙しく働いていたことなどが原因で、幼少期はあまり明るい思い出はなく、常に不安や寂しさを抱えながら過ごしたような記憶があります。

親に甘えると、忙しそうだから迷惑がかかると思っていたのか、トーマスやミニ四駆などのおもちゃでひとりで遊んでいるシーンをよく覚えています。

 

保育園から小学校にあがり、環境の変化からか、やや情緒不安定に

学校の担任の先生を母親の代わりにずっとくっついていた結果、入学早々いじめられる?ことに。

そのときの思い出でいいものではないので、ほぼ記憶がないのです。

転機になったのは、ドッヂボールと、かけっこでした。

足が速い方だったのでリレーの選手になったり、球技のセンスも人並み以上であったため、

一躍クラスのイケてるグループに所属することができました。

そのまま順風満帆な小学校生活でしたが、次の転機は6年生になったとき。

親の方針で、中学私立校への受験が始まりました。

放課後の遊びができなくなったり、受験のため小学校の授業がつまらなかったり、勉強をしているから答えがわかってしまいます。

また算数の、ある方程式を先生が知らなかったことに、当時は衝撃を受けました。そのために無意識ですが、少しずつ周りを見下すようになります。

そして、イケてるグループからだんだんと孤立することに。

一度、所属していたグループから孤立してしまうことはなかなかのしんどさでした。

中学受験を望んでいたわけでもないため、勉強にやる気もでず、心苦しい1年間を過ごしました。

定期的に行われるテストで成績の順位発表で、順位が高いと親が喜ぶ。

振り返ると、親の期待に答えるための人生を歩んでいたなと思います。

最後の方は偏差値も希望校には届かずだったのですが、学習院中等科に奇跡的に合格しました!!

 

中学~高校と、学力や価値観の合う友達との充実の毎日

受験にはいい思い出はないですが、価値観の合う友達、気を使わない男子校の校風など、受験という道を歩ませてもらった両親には感謝の気持ちが湧きます。

また、小学校のときに、スポーツが得意だと人気者になれる。という味をしめた僕は、野球部に入学します。

決して強くはないチームでしたが、甲子園を目指す。朝日新聞に載りたい!という思いで毎日励みました。

そして高校3年生のときに、ふたつの転機が、訪れます。

倫理・哲学という授業との出会い

幼少期にあまりいい思い出のない僕は、たしか5歳くらいのときから、

レオナルド
レオナルド
なんで僕という人間は主観で視界が見えるのだろう

とか

レオナルド
レオナルド
なんで右腕をあげようと考えたら、右腕はあがるのだろう

そんなことを、子供心ながら考えていました。

しかし、受験などの、いわゆる暗記教育よろしく、点数やマルバツで評価される二元論的な日本の教育環境では、そんな疑問は誰にも相手にされないと思っていました。

 

高校3年生で出会った、倫理・哲学の初めての授業の出された宿題に衝撃を受けました。

 

それは、

先生
先生
 次の授業までに、「どうして人を殺してはいけないのか?」を原稿用紙1枚で書いてきてください

といったものでした。

 

このときはまさに頭を殴られた感覚でした。

要は、

レオナルド
レオナルド
そんなことを学校という場所で真面目に考えてもいいんだ!

という自分への許可でした。

今、言葉にするなら、人間は本質は “自由である” ということをはじめて認識した瞬間でした。

 

ふたつめの出来事は、

高校野球部の引退となった敗戦経験

ポジションが外野手であった僕は、打者としてチームの勝利に貢献しよう!と熱い思いでした。

憧れの甲子園の可能性もゼロではない地方大会でしたが、投手の調子が悪く、四球続きの結果、最終戦は一度も打席に立てないまま終わってしまいました。

この経験は、僕に、自分の成功は他人任せではなく、自分で主体的に手に入れなければならない。

 

そんないわゆる「インサイドアウト」「自分が源」の考えのきっかけを教えてくれました。

 

大学に入学、アメリカンフットボール部での活動

高校野球の敗戦の経験から、QB(クォーターバック)という勝敗の影響に最も影響する中心のポジションに就きました。

最初は、思い描くプレーの理想と現実のギャップでとても苦しみました。運動神経バツグンの先輩との比較されることも苦しかったです。

しかし、逆境こそが本当に大きなことを教えてくれます。

 

大学2年生の冬(2009年12月)に、こういった発信の先駆けとなる、アメブロを始めました。

 

初めての記事を、恥ずかしすぎますが(汗)、公開します(笑)

https://ameblo.jp/leon57/entry-10418904708.html

 

そして、自分のそのときの思いや、ときに先輩への悪口、理想など、文字に起こすことで頭を整理していきます。

また、高校のときの哲学の授業・考え方との出会いで、「超訳・ニーチェの言葉」などの思想的書籍も読むようになります。

 

大学3年生になる前ころに、これも転機となりました

「もしも高校野球のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」

社会現象にもなった書籍、通称『もしドラ』と出会います。

 

圧倒的能力差がある先輩との比較で、スキルでは勝てないと思った自分は、まさに、マネジメント的な発想に興味を持ちます。

目的は、自分が上手なことではなく、チームが勝つこと。

ということは、スーパースターではなく、選手兼かつ優秀なマネージャー的存在になればいいのだと。

 

そこから、じぶんなりのマネジメント、これまでと違った発想から部活の “景色” を見るようになります。

レオナルド
レオナルド
どうして、下級生のモチベーションがあがらないのか?

レオナルド
レオナルド
この練習はなんでこの順番でやるのだろう?

レオナルド
レオナルド
もしかしたら、ただ過去を踏襲しているだけではないのか?

そんな感じにです。

 

自分が最上級生になったときの理想的なチームを思い描くようになりました。

始めたブログも参考になり、このときの自分はこう考えていたのか。ということは、いまの下級生も同じ気持ちかもしれないな。などと俯瞰するための意識をしていたなと思います。

最上級生になり、先輩の有り難みの知ったときに、一年前のブログを読むと、「先輩たち早く引退しないかな」なんて書いていたブログもあったりしました。

 

4年生時のチームは、部活の50年以上ある歴史で創部史上最も優秀な成績を残すことが出来ました。

優秀な先輩たちと比べると能力は劣ります。その分、先輩たちの経験を活かしたり、

なにより、「最初から自分たちは弱小だ。失うものは最初から無い」と身体に染み付いていた状態からのスタートが功を奏したのだと思います。

 

プロ野球の、野村克也監督のこんな名言があります。

 

野村監督
野村監督
勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし

僕らはOBや、見ている方たちに、「よく勝ったよね」「偶然でもすごいね」と言われることもしばしばあります。見ている方はそう思うかもしれません。

しかし、僕たちと対戦した相手には「負けるべくして負けた」と思われているはずです。

 

準備の大切さ、目的をどこにフォーカスするか、考えるチカラ、持つべきと必要ではないプライドなど、大切なことは全て詰まっていることを学びました。

大学は部活しかしていませんでしたが、本当にかけがえのない時間でした。なにより大切な仲間ができました。また、その経験は社会人にも活きます。

 

大学の次は、就職です。が、、

大学4年生になる直前の3月11日、東日本大震災が起きる

いわゆる就職活動本番に入る前でもありましたので、各企業が就職活動の見送り、先延ばしなどで、例年の常識が通じない状況でした。

合わせて、就職氷河期と重なる時期でしたので、大学4年生は部活に尽力することとし、就職浪人である大学5年生を選びます。

 

大学5年生は履修の単位は取り終わっていたため、基本ヒマでした。そこで、就職活動というきっかけもあり、ビジネス書にハマります

ベンチャーからはじまる企業を起こした経営者のビジネス書です。

 

ほりえもんや、サイバーエージェント、GMO、などなど。こういった考え方があるのかと読み漁りました。

また、あるベンチャー企業の就職説明会では、「内発的動機づけ」といった言葉を知りました。

 

またある就職説明会のメガベンチャーの経営者の方は、

 

経営者
経営者
20代はどこでもいいからチカラをつけて、30歳になったときに再就職活動をしなさい

この言葉は、当時の僕はまさに大きな衝撃を受けました。

 

就職活動はゴールでなく、人生の手段である。そして自分の人生は自分で創っていく。そういった学びすら目からウロコでした。

 

そこから、誰でも知っている大手企業から、自分のチカラが付きそうな、ワクワクするベンチャー企業への志望に切り替えます。

 

教えてもらった教訓を活かし、3つの条件を満たしている会社を探し始めます。

今の社長が創業者の会社  会社への想いが詰まっているから

社員が20名くらいの会社  社長との距離が近く、直接仕事ができる可能性が高いから

社長が書籍を出版している  その本を読めば、考え方・思想・価値観がわかるから

 

また合わせて、就活における自分の学生時代の強み(軸)はなんだろな?と考えた結果、もしドラで培ったであろう「マネジメント」にいきつきます。

(先にお伝えしますが、社会人である今の僕はマネジメントの難しさは分かっており、お世辞にも「マネジメントが得意です」なんてことは言えません^^;)

 

そこから、20代で「マネージャー」として社員を束ねるポジションになれる可能性のある仕事を軸に切り替えます。

業界は問わず、ホテルや、アパレル、あまり人気のない飲食店経営なども応募しました。

 

しかし、なんかピンときません。結果も一次面接は通るが、それ以降は落とされる、、が続きました。

履歴書に「私の強みは~」と書いたり、リクルートスーツで振る舞う、就活ロボットのような自分への気持ち悪さが強くなり、どんどん疲弊していきます。

 

自分は社会不適合者なのかもしれない、と思うようにすらなりました。

 

疲弊度でコップが溢れてくると、人間は開き直る生き物なのかも知れません。本屋さんのあるビジネス雑誌が「起業特集」の記事テーマでした。

 

なにを思ったのか、僕は「起業という選択肢か」と真面目に考えます。

 

レオナルド
レオナルド
父親が設計事務所を経営している背景もあるのですが、ここまで就活もうまくいかない社会不適合者だし、そもそも自分で会社を起こして社員を雇ってしまえば自ずと軸であるマネジメントができるな

などといったことを真剣に考え始めるのです。

 

そして、ある日、法人設立届を役所に、、 といったわけではなく、^^;

 

そんな頭で過ごしていると、ある日、「起業家の挑戦を応援する仕事」そんな会社を見つけます。興味津津です。

今の社長が創業者であり、社員が20名弱、社長が書籍を出版しているの条件もまさかのバッチリと満たしていました。

社長の書籍を書い、読書感想文を書いて持っていき、面接を受け、インターンシップを乗り切り、役員面接も受け、見事内定をもらいます。

やっと社会人になることとができました。

 

アサヒビールシルバースター入部

また、社会人になる直前に、クラブチームで、大好きなアメリカンフットボールを続けようと決意!

仕事と両立できるのか? 強豪大学出身者やスター選手が集まったチームで自分がどこまでできるのか? 不安は強く、大きな挑戦でした。

 

社会人デビュー

勤め先は、株式会社ビジネスバンクグループという、外苑前にオフィスを構えるベンチャー企業。

https://bbank.jp/

 

ベンチャーといっても、創業は1997年ではありますが、現状に留まらないベンチャーマインドをもった会社です。

 

社長は、圧倒的な存在感で、父性と母性を絶妙なバランスで兼ね備えた、僕の最も尊敬する人物です。

 

僕は、入社早々、教育・セミナー事業のほぼ立ち上げに任命され、東京をはじめ、担当の福岡、長野、ときに大阪、札幌など各地を教育事業の運営、お客さん集めに翻弄しました。

入社2年目の、2014年には仙台事業部の立ち上げ

3年目の、2015年には、担当の福岡地域を現地の企業と提携してフランチャイズ化

4年目には、2016年には広島事業部の立ち上げ

と、全くなにもないところから、DM、電話、SNS、飛び込みを駆使して、お客さんに知ってもらい、実際にもらい、契約してもらう。営業活動で日々地方を飛び回っておりました。

このときの経験は、何事にも変え難く、まだ社会人を知らないまっさらなば僕が、最初に経験した環境がこの会社で良かったと心から思います。

社内の人間関係もよく、学びの多い仕事でした。

 

しかし、入社3年目、20169月のある日、

「あれ?僕の人生はこのままでいいのかな?」

といった疑問がフッと浮かびます。

頭の上から ”考えそのもの” が降ってきたような感覚で、

「自分のチカラでやってみてもいいかも」

と、そんなアイデアが全身に巡りました。一瞬の出来事でしたが、このときはもう会社を辞めると決めていました。

 

会社を辞めたら、収入をつくらないければいけない。

そんな思いでしたが、フッと流れてきたfacebookの広告に目が止まります。

 

それはコーチングという手段を使い、じぶんという商品で、収入を得ていくという内容でした。

最初は、この手の胡散臭い情報商材かなと思いましたが、じぶんのチカラで収入を得れることに、興味津々。

 

いま、自分が最も欲しいモノでしたので、説明会に申し込んでみました。

 

それまで仕事でセミナー事業の運営をしておりましたので、開催者の視点で観察してやるぞ!の態度でしたが、

その洗礼されたクオリティと、プレゼンターのエネルギーと、再現性の高さで、セミナーが終わり20分ほど悩んだ挙げ句、40万円の講座を申し込みました!

 

もちろん、そんな高額商品を購入したのは初めてです。

余談ですが、このときの貯金はゼロです。

この1年前から、会社の近くの青山一丁目と四谷三丁目に挟まれた、信濃町でというところで、一人暮らしを始めていました。

毎月の給与の手取りは20万円ちょうどでしたので、貯金がまったくない状態から支払いをするために、一人暮らしの民泊を当時流行り始めていたAirbnbを通じ、民泊として貸し出すことにしました。

(今は賃貸をAirbnbに出すのは、法律上無理です。このときも本当はダメです)

これがそれなりに当たります。信濃町は渋谷、新宿、原宿のアクセスがとても良く、1~2名の観光の方の予約がよく来ました。

また、近くの四ツ谷にある、上智大学の非常勤講師が来たり、赤坂も近かったので外資系企業にインターンとしてくるアジア人など、長期滞在の利用者も多く、一番いいときは10万円くらいに利益が出来ました。

そのお金で、コツコツと分割での返済をしていきます。

 

話を戻しますが、申し込んだセミナーとは、3ヶ月間のプロジェクトです。

実際に、コーチングの技術と共に、自己理解を深めることにより他者理解をする実践の場を経験します。そして、

3ヶ月間を現実のリアルの環境で、コーチングを駆使してじぶんのチカラで稼いでいくプロジェクト

中身の詳細は割愛しますが、この3ヶ月間は、僕の人生の中でも最も濃く、悩み、涙し、辛く、そして生きるということの意味を教えてくれました。

物事って、なんでもいいです、どんなことでも、突き詰めさえすれば、本質である根幹は同じと思います。それを自分で掴み取り体験すると、人生は自分の望む方向に舵が切り替わります。

実際に、3ヶ月で129万円の売上を獲得した僕は、プロジェクト終了の20173月末と同じタイミングで、勤めていた会社も退職します。

 

4月から、27歳でひとつの目標であったフリーランスに

コーチングをしつつ、縁をいただいた方の仕事の営業代行として関わらせていただいたり、ネットショップの転売も始めます。先輩にオフィスも借りました。

ただ、勢いで辞めたからこそ、ここからの約2年間は、お金の面で大変でした。

お金は社会に価値を与えた分だけ、入ってくるもの。

 

社会に価値を与えられる人になるためには、自分自身の価値をあげることは必須です。

そのために、自己投資もたくさんしました。

 

201610月に、初めての40万円のプロジェクトの支払いをしてから、1年間で数えられるだけでも、201万円の自己投資をしました。

もちろん、支払いは苦しいです。

 

払えないときは、リボ払いにして、消費者金融からキャッシングもしました。

コーチングと営業代行の仕事、またネットショップの

2017年は、最も売り上げた月で50万円、最も下回った月は5万でした。

 

その他、単発のアルバイトの依頼があれば必ず引き受けました。

ネットショップの出品代行や、フラッグフットボールを幼稚園~小学生に教えるバイト、世界的な雑誌の撮影に使う機材を運ぶドライバーも経験しました。

 

それでも、年金や住民税など、予想外の追い打ちは傷口をえぐります。

借金が返せているのか増えているのかどうかも、よくわからない。その月の生活費も稼がないといけない、クレジットカード明細と通称を眺めながら頭を抱える、なかなか切羽詰まった毎日でした。

また、フリーランスとして、会社に属さなくてもやっていけてはいるという、それなりに満たされている自分もいました。

僕の場合は運がよく、自己投資先の人との出会いやノウハウが自分の価値観と一致しているため、本当に恵まれていました。

そんなカタチで、自転車操業という、なんとかなるだろう。という根拠のない日々でした。

 

そして、次の心の転機は年明けに起こります。

20181月、新年とともに心機一転!心を入れ替えて、では稼いでいくための行動はどうしようかな!というときでした。

 

自分が最初に参加して卒業した3ヶ月プロジェクトの次の期に、サポートする側で関わらせていただきました。

その、次の受講生が一生懸命に自分や社会と向き合っている姿を目にしたとき、

会社を辞め、じぶんで自立できるためのチカラが欲しくて、死に物狂いでがんばっていた3ヶ月間を思い出し、重ね合いました。

 

一生懸命生きているつもりだが、日銭を稼いで日々をしのぎ満足している受け身の自分を振り返り、

レオナルド
レオナルド
あぁ、自分はかっこ悪いな。まだまだできるな

と、教えてもらいました。

そこから、さらに自己投資をすることに決めました。

自分より成功しているコンサルタントの方を雇う

フリーランスになってから、コーチングや、営業代行のお仕事で、ひたすら1対1の対面セールス・セッション・サポートを行っていました。

 

多いときは、1日に7人。フリーランスになってから9ヶ月で300人を超えるはじめましての方と、ひとりあたりだいたい60~120分の時間をセールスコミュニケーションで実践として積み上げてきました。

その積み上げてきた経験とリソースををコンサルタントの方が、整理してくださり、一緒に戦略やポジションを考えていきます。

 

コーチや営業代行から、ライフアップデートコンサルタントという名目にポジションをチェンジしていきました。

これは、僕にとって大きな出来事のひとつです。

 

それまでは、相手のアポイントに合わせて、コーチングを売る、営業代行の商品を売る。という、商品そのものを売っていました。

 

ここを、「私は、あなたのライフスタイルをアップデートするコンサルタントです」

あなたのライフスタイルをアップデートするために、私がコンサルタントとして協力します。あなたに状況はこうこうこうなので、今これがあればアップデートできませんか?

と、自分自身の存在意味を紹介して、相手に確認をして、最後に商品の良さをプレゼンテーションする。

 

これだけで、セールス・コンサルティングに大きな変革をもたらしました。

 

僕のコンサルタントとは毎月の家賃以上の支払いが発生するため、契約時は瀬戸際と言うか、もう小指で一本状態でした。

5日後のクレジット引き落としに30万円足りない!という状況もありましたが、人間は真に追い込まれてこそそのチカラを発揮する、、というか、なんとかするのです!

9回裏に甲子園の逆転劇の奇跡が起こるように、綺麗に契約が決まることもありました。

ただ、もちろんすぐに順風満帆といくわけでもなく、思い返すと、2018年も修行の年でした。

 

そのコンサルタントの方とも、1年以上ご契約させていただき、様々なことを教えていただきました。

 

僕の独立のきっかけとなった3ヶ月間プロジェクトは、新しいプロジェクトに派生して、その運営としても携わらせていただきました。

2017年の1年間で200万円以上の自己投資をした後、2018年から2019年上半期までは交通費も入れると300万円以上の学びへの投資をしました。

 

そして、僕は運がいいので、全ての投資先は価値観が近く、間違いなく僕自身の血と肉となっています。

2018年の年末頃から続けた分、チカラもついてきてだんだんとお金の面で、軌道にのってきます。

 

借金を全て一括返済(2019年4月)

そのときの記事です「借金さんに別れを告げた」

 https://reonamedia.com/2019/04/debt/ ‎

 

キャッシュがなくなることは恐怖でしたが、心機一転と、まっさらな気持ちでまた歩んでいくためです。

2019年は、ゴルフにハマり、にハマり、そして発信することにハマる

上半期の半年でゴルフ30R、海外5カ国に渡航しました。このブログメディアに記事を蓄積していくことも毎日の楽しみにひとつです。

いま、新しい企画にも挑戦しています。

海外への旅や、暮らしが、ライフスタイルの一部になるような事業や、

会社に正社員として勤めずとも、じぶんのチカラで無理なく生きていくサポートや、

資本主義が招く、マイナス面の価値観に苦しむ世代を、その脱皮を図るための企画など、

 

なんのために仕事をするのか、お金とはなんなのか、僕たちがこれからの未知なる時代を生きていくために、

ライフスタイルを時代に合わせて自らをアップデートすることで、生きやすい未来にしていく。

 

「日常の小さな気づきから、有益な情報まで。発信する在り方で、読む人と自分自身もアップデートしていくライフスタイルを^^

そんなコンセプトで、日々の出来事を切り取り、発信していきます。

読んでいただきまして、ありがとうございました。

レオナルド

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